Bercriber's Blog

日記

2025/06/22 23:57


日曜日、明日は雨

寝る時間だけど明日も休日だしちょっと書くかの回。

10時覚醒、11時起床。一時間何をやっているのだ。

朝食はプロテインバーとコーラ。昼食はモスルーティン。ホットドック、ポテト、アイスカフェラテ、抹茶シェイク。公園を2周。あたらしい帽子の麦わら帽子を被ってみた。悪くない。まぁしかし暑い。散歩も夜間にしたいけどインターネットやってると夜終わるんだよね。夜がたりない。

無印良品とニトリに会員登録して寝具を物色した。無印の枕カバー、布団カバー、マットレスシーツ、フェイスタオルを買った。黒色で揃えれたのが良かった。今の寝具は謎の配色をしているので統一できるのは嬉しい。ただマットレスシーツにパッドがついていないので、現状の薄い毛布を敷いている感じに対して優位であるかと言えば謎である。縫い目がなく肌触りもよく適度な厚みもあるので機能的にはだいぶ良い。ただ毛布なので夏には熱がこもりやすかもしれないがしかし、なぜか夏なのに背中が冷えるみたいなマットレスというか部屋の環境なのか、よくわからんが薄手の毛布を引いているのは実はプラスに働いているという説もあるのでどうなるのだろうか。やってみなわからんね。リネンの物を選びたかったが黒系がなかなかないのと、やはり高いので見送り。

昨日はちょっと詩を書いた。「詩は死を書くこと」と言う「心臓の風化」にある薮内先生の言葉をテーマにした。希死念慮は最近ふつふつと湧いてきているのと、昔割と本気にそれに追い詰められていたことがあったので、自分的にも十分なテーマだ。当時の結論としては、死は特別なことであるが自立した概念ではなく崇高なことでないこと。生からの逃避として死を希求していたこと。「幸せに生きたい、しかしそれが絶対に叶いそうにない、だから自死こそが最良の生き様なのではないか、つまり生きるに起因した死でしかなく特別な死にはならない、生きることが本来の望みなのだ」。生きたくて生きれなくて死にたかった。凡人だった。当時の僕は特別な価値観にたどり着いていたと思っていたが本当にありきたりなものにすぎなかったことが悲しかったと同時に理性的な必然性に導かれた先の価値観だったと知って嬉しかった。狂ってなどいなかったのだと。

最近の希死念慮は体調不良からくるものだ。パニック発作を経験して以来、体験的な死の恐怖にさらされて以降、死にたいなどとは思わなくなっていたが、やはりかねてからの予想通りお先真っ暗だった。知ってた。その時死ねばいいかとか思っていたけど、いざその時が近いかもとなってくると死の恐怖が日常にちらつく。それでも、いつかは、死ぬのだから。1年後か50年後か、その違いはなんだろうか。未練はないと思っているが本当にそうなのだろうか。50年後平均的な寿命を迎える時、どのような心がそこにあるのだろうか。今とそう変わりないと思うのだが。おしえてほしい。

「詩は死を書くこと」過去と今を書いたが未来をまだ書いてはいなかったので書いてみようと思う。しょせん今から想像した未来にすぎないとしても。過去さえも今から思い出した過去にすぎない。過去も今、未来も今、今は...

(30分、 1349文字)

日記を書いた時間を測るコードがバグってるな。0時をまたぐと値がマイナスになった。うーん。

(-1407分、 1404文字)